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月: 2023年3月

  • ご挨拶/創業20周年によせて

    2023/03/03

    2003年3月3日 開業

    2003年3月3日。わがピッコロホテルオペラ軽井沢は開業した。
    この日は単にゴロ合わせで2003.3.3ということで、もちろんお客様は一人も居なくて、私と家内と二人で、寒い軽井沢の国有林の隣で、初めて第2の人生の始まり、、、赤ワインを開けて乾杯からのスタートであった。

    顧みれば学校を卒業してからサラリーマン生活、金融マンからメーカー営業マンへの転身、と変化はあったが、ひたすら当時の日本の経済成長に乗った猛烈サラリーマンの生活を続け、結婚し3人の子供を育て上げた。60歳の定年を迎え、その後の定年延長制度もあったがスッパリ会社を辞めた。

    住み慣れた東京から、子供の頃からたびたび訪れていた軽井沢の自然の中の生活に憧れ、今流行りの移住を試みた。60歳、初老(?)とも言えるがまだまだ気持ちは元気、こんなのんびりした軽井沢の田舎でブラブラしているとボケてしまう、ということでなにかやらねばと考え、喫茶店をやろうか、という甘い考えから始まりエスカレートしてペンションにたどり着いてしまった。60歳で定年、1年がかりで土地を手当、建物を建てて開業となった。

    未経験からの挑戦

    2人とも今まで全く経験がなくホテル経営はもとより商売の経験もない2人、家内に至ってはずーと専業主婦。会社勤めの経験すらない中、ホテルを始める、、ということで友人たちはこぞって反対。そんな無謀なことはやめろ。経験もない、若さもないのにホテルをやるなんて、、倒産するぞ!って。

    たしかに全く経験したことがないだらけ、、接客からベットメイク、掃除、料理、宣伝、etc,,,
    夫婦で開業前数カ所のペンションに泊りがけでアルバイトをして教えてもらい勉強した。
    なるほどこの業界は初めての事だらけで慣れるのが大変であったが、見事合理化されておりホテル業という分野が確立されていた。勉強になり老年の再学習であった。家内はもともと料理好きではあったが家庭の料理を作るのとお客様への料理を作るのとではわけが違う。東京生活での料理の先生に訳を話しいろいろ丁寧に教えてもらい、20年たった今でも通って勉強、、先生に感謝である。

    一方家内の接客の方は会社勤めをしたことすらない家内であるが、フタを開けてみるとなぜか見事な接客術であった。私は営業のプロとの自負があったが、家内の自然体の接客はお客様の心をつかみ皆に好かれ天性の能力、、、意外な驚きであった。

    ピッコロホテルオペラ軽井沢 命名

    なぜ[ピッコロホテルオペラ軽井沢]、という名称にしたのかというと、家内が音大で声楽科(ソプラノ)を卒業し、オペラを勉強していたのと、私自身も小学生の頃からのクラッシック大好き人間で、成人してからはクラッシックばかりでなく、ジャズ、ロック、フォークや民謡、などいろいろなジャンルの音楽が大好きとなり音楽に囲まれて老後を過ごす、、という目標を実現したいと思った。

    最初はオペラ軽井沢という名称とは素人がいくらなんでもおこごましい、、、という気持ちであったが他に適当な名称もなく、まあ年寄りがやるホテルだから大目に見てもらおう、と図々しくこの名称にしてしまった。実際開業してみると名前を見て音楽関係者が時々おいで下さる。プロの方も時折お泊りくださるがそんなときは素人の我らも名前負けした内容で恥しく、恐れ入る次第である。皆様あたたかい目で見てくださるので本当にありがたいことである。

    学生時代、サラリーマン時代の友人達がたくさん我々を支えて下さった。開業を心配して反対してくれていた友人達もいざ開業してみるとみんな応援してくれオペラ軽井沢に宿泊してくれ、お客様をあちこち紹介してくれた。大学の運動部の仲間達は宿泊して同期会を毎年開催する、、等、本当に持つべきものは大切な友人達であった。会社関係者も金融関係時代からメーカー営業時代の友人、転勤先の友人達が全国から来訪してきてくれた。そこここに驚きの出会いがあり数十年も会っていない友人や思いがけない奇跡の出会いなどなどホテルをやってなければ絶対起こらない感動も沢山あり、本当にありがたく、幸せな第2の人生になった、、と考える今日である。

    軽井沢での宿商売

    軽井沢でのホテル開業にあたり 軽井沢は有名な避暑地、夏は猛烈忙しいが冬はほとんどお客様が来ない。地元の観光業は夏は軽井沢で働き冬は出稼ぎや他の業種の仕事をする、、との話。冬にどうやって生活するかが軽井沢の大きな問題である、、ということであった。我々は逆にそれはそれで良かった、と思った。

    長い間サラリーマン生活、我らの時代は日本中ブラック企業だらけ,土日もなく働いたり、月200時間を超える残業をしたり、、今では全く考えられないサラリーマン生活であった。我らの世代はみんな今日の日本の経済発展は我々が創り上げたものである、、という自負がある。そういうモーレツ社員時代の我等、停年後の第2の人生がまた同じモーレツでは悲しい!軽井沢の冬の閑散期は願ってもない状況、、夏は一生懸命働いて冬はゆっくり、我らの好きなオペラを観に本場のヨーロッパへ行こう!と考えた。 幸いなにがしかの年金もあることだしあとわずかの人生を楽しく生きたい。おかげで楽しく冬の時期を過ごすことが出来るようになった。ヨーロッパの蚤の市で買ってきた楽しいガラクタをオペラ軽井沢のホテル内に飾るのが楽しみとなっている。

    三男が跡継ぎに

    さて、十数年ホテル業をやってきたら突然3人の息子の末っ子からオペラ軽井沢を継いでくれる、、という申し出があった。我等はこのような仕事を息子が継いでくれるとは夢にも思ってなかった。まあやれるだけ続けて我々が動けなくなったら潰れればいい、、と考えていた。

    実際振り返って見ると今回のコロナ騒動はちょうど良い、きりの時期。もしかしたらホテルを辞めていたかもしれなかった。
    想定外のことで三男が結婚して夫婦でホテルを継いでくれる。子供も出来、隣に家を建て一緒に働いてくれている。さらに想定外が続き、長男一家も東京から移住してくれ隣に家を買い住んでくれた。彼等はホテルには関係せず東京の会社から上田市の会社に転職してきてくれた。各々孫が2人ずつ十人の家族になっており、次男は軽井沢には居ないが休みになると年に数回はホテルを手伝いに来てくれている。昔から子供達を連れて軽井沢で過ごした思い出が子供達を軽井沢に引き寄せてくれた、、と思っている。おかげで我々は3人の息子達、孫4人に囲まれて幸せな老後を送っている。誠にありがたいことである。

    20年を振り返って

    2023年3月3日。開業20周年を無事迎えることが出来て、我々が人生を振り返るといろいろ大変なこともあったが、この定年後のホテル業が人生のいろどりを大きく変化させてくれた。
    『我らが人生に(今までのところ)悔いなし』である。
    これからも出来れば生涯現役を貫き通し、オペラ軽井沢を息子達と一緒にやっていければまことにまことに幸せである。 皆々様のご理解、応援を何卒よろしくお願い申し上げます。

    2023年3月ピッコロホテルオペラ軽井沢 樋泉 新一、佳子